簡単に見えて難しい紙すきに誰もが四苦八苦。児童の手を取り、木枠の動かし方を丁寧に教えていく。「古里に伝統工芸があることを誇りに思ってほしい」と宮田さん。
一人の児童が3枚の紙をすいていく。それを貼り合わせて賞状の用紙に仕上げるという。誰のものか分かるように、名前札を添えていく。「書き方が悪い」と注意された子は苦笑い。
平成11年(1999)に開催された「くまもと未来国体」の表彰状は、宮田さんがすいた「宮地手すき和紙」で作られた。郷土を代表する手技が、格式高い賞状を生み評判に。
いてつくような寒風の中、卒業証書を自分たちの手で作ろうと、八代市立宮地小学校の6年生36人が郷土の伝統工芸・「宮地手すき和紙」に挑戦しました。一人ずつ木枠を手に取り、冷たい水に震えながらの和紙作り。その傍らに立ち、指導をするのは宮田寛さん。熊本県で唯一の「宮地手すき和紙」職人として昔ながらの技術を守り、多くの人々に和紙の魅力を伝え続けています。
同校の卒業証書作りが始まったのは8年前のこと。地域の伝統工芸に触れ、そして自らの手で卒業の証をつくり、新たな一歩の礎にしてほしいと、毎年行われるようになりました。木枠を持ち、原料のコウゾ(※)を均一にすく動作の繰り返しですが、そう簡単にはいきません。児童の誰もが、おっかなびっくり!油断すると木枠の中にはコウゾの大きな塊ができてしまい、また最初からやり直しです。
「お前の姉ちゃんな、もっとじょっ(上手)かったぞ」と笑いながら、児童に手を添えて指導する宮田さん。地域の子どもたちを見守り続けてきた“卒業証書のおっちゃん”は、巣立っていった子どもたちの顔を一人一人覚えています。「この町で育った子どもはみんな、家族と一緒。次は中学校の卒業証書作りの時に会うけん、成長が楽しみですよ」。
宮田さんは、「宮地手すき和紙」職人となって約60年。加藤清正公の時代に端を発する伝統工芸は、宮地を流れる中宮川のほとりで受け継がれてきました。宮田さんの工房は「八代神社妙見宮(みょうけんぐう)」のすぐ近くにあり、八代の特産品・イ草を取り入れた紙など、さまざまな和紙を作りだしています。
「朝6時に“妙見さん”の太鼓が鳴ると仕事の始まり。まず“たどん(※)”に火を起こして手を温めながら、朝飯前に50枚は紙ばすく。1日に600枚すかにゃ、一人前じゃなか。」と宮田さん。暑い夏場はコウゾをつなぐノリが溶けてしまうため、紙すきは寒い時季に最盛期を迎えます。凍えるような冷水に手をさらしながら紙をすく厳しい仕事である上に、洋紙の登場によって和紙の需要が激減。時代の流れを受けて、跡を継ぐ人もいなくなりましたが、宮田さんはただ一人、「宮地手すき和紙」を守り続けてきました。
宮田さんにとって、年に一度の卒業証書作りは地域の子どもたちと触れ合う場であり、それは子どもにとっても一生心に残る体験の場でもあります。担任の松岡先生は「子どもたちに地元の貴重な伝統工芸を体験してもらい、地域の皆さんに守られて成長してきたことを覚えていてほしい。感謝する心はもちろん、自分も地域の一員だという自覚も持ってもらいたいですね」と語ります。
宮地小学校・中学校の取り組みを知ったほかの保育園などからも声が掛かる宮田さん。「わが子の卒園証書ば作ってやりたいと聞けば、トラックに荷物ば乗せて駆け付けますよ。子どもの成長ば願う気持ちは誰でん同じだけんね。子どもたちと紙をすきよると、わたしも元気になるごたる。今の子どもは知らんことも多かけん、いろいろ話したり、時には怒ったりするとも楽しかよ」。“卒業証書のおっちゃん”は伝統の「宮地手すき和紙」を通じて、町の子どもたちの成長を見守り続けています。「はい、やり直し~」と笑う宮田さんの横で一生懸命に紙をすいた思い出と卒業証書を胸に、6年生が旅立つ日はもうすぐそこです。
※コウゾ・・・和紙の原料となる植物。
※たどん・・・炭の粉末につなぎを混ぜ合わせて、乾燥させた燃料。