
今も根強いファンが多い“寅さん”の看板。「寅さんといえば、失恋、昭和の時代背景、そして夕焼け」。これでもか、これでもかと、内面を描いていく松尾さん。
肌の色一つとっても、同じ人はいない。白黒の写真を元に“総天然色”に仕上げていくことも多い。そこにない色を見ることから、松尾さんならではの看板が生まれる。
無数の色を表現する松尾さんのこだわりは色の混ぜ具合。肌の色、季節感、透明感、表情など、描きたいものに合わせて色を選ぶ。風や空気などにも色がある。
昭和30年代、戦後の復興を遂げて高度成長期に差し掛かるころ、人々の娯楽といえば映画でした。映画館の巨大な看板に描かれたスターの姿はひときわ輝いて、人々の夢とあこがれの象徴だったのです。そんな昔懐かしい映画看板を今も手掛ける松尾寿夫さんは、玉名市で広告看板業を営みながら、地域のイベントなどに映画看板を提供する元気モン。全国から多くの人々が松尾さんの描く懐かしい映画の世界に共鳴し、イベント会場を訪れています。
松尾さんの工房には約40作品もの映画看板が保存されていました。地元の催しには快く貸し出し、1人でも多くの人に時代の財産に触れてほしいと願う松尾さん。「パソコンが普及して、何でも印刷できる時代。新しい技術もよかばってん、古いものを古いままに守り続けていくのも大切なこと」。配給される映画ポスターなどを元に下絵を起こしながら、松尾さんは語ります。「ポスターの写真をそのまま写しても映画看板にはならん。わたしが描くのは映画の中の世界。物語の中に生きる主人公の思いや風景、時代背景を感じさせるように構成していく。手描きでなければできない描写、色、文字などすべて“プリント全盛期”への挑戦たい」。
中学生のころから県小中学校写生大会で特選を受賞するなど、画才を発揮していた松尾さんは、当時玉名市にあった映画館「大洋館」に就職し、看板絵師の道を歩き始めました。やがて上京を決意し、映画看板の制作会社へ入社してさらに腕を磨きます。「東京で初めて見たのが“南太平洋”の映画看板。その巨大さと迫真の色遣いは、衝撃だった。自分が目指すものがはっきりと見えた瞬間だったね」。
そして7年間の修行を経て、帰郷した松尾さんが見たものは、映画産業の衰退でした。カラーテレビの普及に伴い、映画館は次々に閉鎖。松尾さんは広告看板の需要に応えながら、映画看板への意欲を捨て切れずにいました。そんな松尾さんに平成13年(2001)、「県民文化祭in荒玉」で映画看板の依頼が届き、44年ぶりに大洋館時代の先輩と二人で巨大な看板を描き上げたのです。
いくつもの作品を眺めながら「見せ場をおろそかにしちゃ、絵が晴れん」と語る松尾さん。色や文字、構成など、いかにインパクトを与えるか、どうしたら役者の個性を引き出せるかを考えるといいます。「その看板を見たら、映画の物語が見えんといかん。手描きには限界はなか。このレトロな世界を理解できん人がおったとしても、誰か一人でも楽しんでくれる人がおればいい。それが少しでも地域の役に立つなら、それでよか」。
すさまじいスピードで技術革新が進む時代、工房を訪れた人々は松尾さんの看板を懐かしみ、その時代へと思いをはせます。その姿に「やっぱり、守ってゆくべきものはある」と、松尾さんの声が力強く響きました。
玉名名物バター焼き
玉名の新しい名物グルメ「バター焼き」。お好み焼きの生地に細かく刻んだたくあんを入れ、バター焼きにした“庶民の味”が人気を集めています。牛すじなどさまざまなトッピングもできるので、自由に組み合わせて楽しんでみてください。
■橘屋本舗
熊本県玉名市中1801-1
TEL/FAX 0968-72-3725
松尾寿夫
玉名市出身。昭和26年(1951)第1回熊本県小中学校写生大会で特選を受賞。翌年、玉名市の映画館「大洋館」に勤務、映画看板絵師の道へ。同34年(1959)上京し、制作会社へ入社。同40年(1965)帰郷し、広告看板業開業。平成13年(2001)「県民文化祭in荒玉」で映画看板を描き、以来数々の町おこしイベントに展示。現在も本業の傍ら、映画看板を通じた町おこしに尽力している。
【連絡先】
松尾寿夫
熊本県玉名市築地837-1
TEL 0968-74-3314