海と山に囲まれた水俣。ここは竹細工が盛んな地域で、かつては大勢の竹細工職人がおり、日用品、農具、漁具としてさまざまな竹細工が用いられてきました。そんな水俣で、今も竹細工を作り続けているのが井上克彦さんです。以前から手仕事や職人としての生き方に興味があったという井上さんは、30歳のときに勤めていた会社を辞め、竹細工職人の道を歩むことを決意しました。竹細工を教える専門の学校へ進む方法もありましたが、生活に密着した道具を作りたいから、と職人の弟子となる道を選んだのです。
昔ながらの竹細工職人が九州にいることを知り、弟子入り先を探して各地の竹細工職人の下を訪ねて回ったそうです。しかし、弟子入りを志願してもなかなか受け入れてくれるところはありませんでした。それは、昔のような竹製品の需要がなくなった今では、弟子をとって竹細工を続けていくことは難しい、という理由からだったそうです。その中で唯一、弟子入りを承諾してくれたのが、水俣市街に竹細工店を構えていた渕上泰弘さんでした。渕上さんの下で修行を積む中で、職人としての生き方を学び、水俣には今なお、竹籠を使う暮らしが息づいていることを実感したそうです。
「私が知る限り、こんなにも生活の中で籠を使う地域は、他にありません。春のタケノコ採りに始まり、茶摘み、ウナギ捕り、梅干し作りにと、人々は一年中、籠を使います。こうした昔ながらの暮らしぶりが残っているからこそ、水俣ではまだ竹籠の需要があるんだろうと思います」と井上さん。水俣では竹籠のことを“じょけ”と呼びます。ご飯を入れる「ご飯じょけ」、といだ米をあげて水を切るための米揚げ用の「一斗(いっと)じょけ」、「かれてご」という背負籠も今なお使い続けられています。ちょっとくらい壊れても、修理すれば長く使い続けることができるのも竹籠の良いところ。井上さんのところへも「ちょっと壊れたけん、直してくれんね」と近所の方が頼みに来るそうです。「私の住んでいる辺りは、古い籠を代々受け継いで使われている農家ばかりです。はじめは青竹特有の薄い緑だった色がだんだん茶色みを帯び、何十年も経つとツヤツヤと光沢を放つあめ色へと変化していきます。籠の一つ一つに、その家の歴史が刻まれているのですよ」。
プラスチック製品や輸入品があふれる今の時代に、昔ながらの竹細工で生計を立てることは、容易なことではありません。井上さん自身、修行を始めたころは、「どうして竹細工職人になりたいのか?」とよく尋ねられたそうです。それでも、この道を突き進んだのは、暮らしの中で実際に人々が使う“道具”を作 ることができる、職人としての生き方に強く引かれたからでした。
井上さんが水俣で職人生活を始めて13年が経ちました。現在、水俣の竹細工職人は、井上さんを含めてたった二人。「職人の高齢化や人々のライフスタイルが変わっていくのは仕方のないこと。それでも需要がある限り、作り続けていきたいし、使い続けてほしい。竹細工を使う暮らしは、水俣の生活文化そのものでもあるので、ぜひ残していきたいですね」と井上さんは語ります。師匠の技術と思いを受け継ぎ、“水俣の暮らしと文化”を次の世代へとつなげるために、井上さんは今日も竹細工を編み続けています。