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第343号

2008年1月24日

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週刊連載記事 老樹名木が語る「ふるさとの自然・歴史・暮らし」
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週刊連載記事 老樹名木が語る「ふるさとの自然・歴史・暮らし」
 老樹名木は、数百年あるいは数千年以上も地域の人々の暮らしとともに生き続け、語り継がれる物語や伝説をはぐくんだり、ご神木として敬われたりして、人々の心のよりどころになっています。これらは、先祖から受け継いだ県民の財産として、子孫に守り伝えなければならない宝です。熊本の自然やそれにまつわる人々の思いなどを織り込み、熊本の代表的な「老樹名木」を連載で紹介します。
 今回は、八代市(やつしろし)北の丸町(きたのまるまち)にある市指定天然記念物の「八王社(やつおうしゃ)の樟(くす)」と、葦北郡(あしきたぐん)芦北町(あしきたまち)にある町指定天然記念物の「田浦阿蘇(たのうらあそ)神社の樫(かし)」を紹介します。


樹齢1000年の八王社の樟(八代市北の丸町)
■子どもたちの笑顔とまちの発展を見守る
クスノキ
市指定天然記念物
樹齢   
(推定)1000年
幹囲   
12.7メートル
樹高   
31.5メートル
 海の守護神、八大龍王(はちだいりゅうおう)を祀った八王社(浅井神社)にあります。ここは浅井の津と呼ばれた古代の港で、この樹は港の目標となっていました。隣接する代陽(たいよう)小学校の卒業生は、皆この樹と遊んだ思い出をたくさん持って巣立っていきました。
■子どもたちの格好の遊び相手だった老樹
 八代城の北にある代陽(たいよう)小学校に隣接する浅井神社の境内、といっても運動場と敷地が繋がっているので小学校の正門を入ると校舎の左側に、幹太くこんもりと茂ったクスノキの老樹が高くそびえています。
 八代郡史(昭和2年:1927)には「周囲36尺(約11メートル)梢幹(樹高)百尺(約30メートル)を過ぎ、実に一千年を経る老樹なり」と記されていますから、最近の測定数値から現在も成長を続けていることがわかります。根元の踏み固めが原因で樹勢が衰え上部の大枝が枯死して、樹高が23メートルと記録された時期もありました。しかし、平成4年から5年にかけて、小学校の校区の人たちの再生支援活動などによって、根元の耕起など懸命の養生が行われた結果、現在では生気を取り戻しています。その後は台風で枝が吹き折られることはあっても、青々とした葉を茂らせて元気な姿を見せています。
 古くに落雷にあった傷痕といわれていますが、根元に二つの大きな割れ目があって中は畳二畳ほどの大きな空洞になっています。かなり高さのある空洞なので、以前は子どもたちが自由に出入りし、内側の壁をよじ登ったりもしていました。空洞にはコウモリが住み着いていて少し怖かったけれども、中に入って遊んだとの話も聞きました。代陽小学校に通った人ならば、誰でも一度はこの樹でかくれんぼをして遊んだといえるほど、子どもたちの生活と密着していました。また、校内写生大会でも多くの子どもたちがこの樹を描くなど、卒業生の思い出の中で大きな位置を占めています。
 この樹で遊んだ思い出のある卒業生が、近年久し振りに学校を訪れてびっくりしたことがあるそうです。というのは、樹の割れ目が昔に較べて小さくなっていたというのです。自分が大きく成長したからではなく、樹の大きさは子ども時代と同じように大きく感じたけれども割れ目の大きさは近くで遊んでいた子どもの体が通れない狭さになっていたというのです。ということは、樹勢盛んになった結果、樹皮が割れ目に向かって伸びてきて隙間を覆ってきたのです。昭和34年か35年ごろ、この空洞に住み着いていた人の失火で空洞が焼ける事件もありましたが、それらの傷害を乗り越えて、現在は傷痕を自ら埋めるほどの活力ある状態に回復しているということです。
■海に通じた神社
 このクスノキがある浅井神社は、海の守護神である八大竜王を祀った社で、創建は和銅3年(710)と伝えられます。妙見(みょうけん)信仰に厚い百済(くだら)の王族が寄港したとき、船頭たちが船霊八大竜王を清泉のほとりに祀ったのが起源だといわれています。ここは古代の港「浅井の津」で、近世になって小西行長が球磨川の中州に麦島城を築いて徳淵の津(とくぶちのつ)に港を作るまで、八代海における交通の要衝として栄えたところです。
 関ケ原の戦(慶長5年:1600)の後、小西行長の所領も加えて加藤清正が肥後一国を統治することになりました。行長が築いた麦島城が元和5年(1619)の大地震で崩壊したので廃城にし、城代だった加藤右馬允(うまのじょう)正方(まさかた)が中心になって現在地の松江に八代城を築き、元和8年にほぼ完成させました。そのとき、この社の位置が八代城の東北つまり鬼門の方位にあたるので、正方は元和9年(1623)に社殿を再興し鬼門の鎮護神として祀りました。それより後、この神社は代々の城主や住民の崇敬を集め、江戸時代中期以降は妙見宮の末社となりましたが、それも妙見様がこの港に上陸したとの言い伝えがあるからです。
 江戸時代まではこのあたりが海岸線で、このクスノキは港に入ってくる船に進路を示す目印となる樹でした。浅井神社は江戸時代までは八王社といわれていましたが、明治期に今の浅井神社と改められました。しかし、八代の人たちは、今も「八王(やつおう)さん」と呼び、神社のご神木のクスノキは「八王さんのクスノキ」として親しまれています。
 境内のクスノキのすぐ横には、「八つ縄の池(塩の井)」があります。これは清水が途絶えることなく湧き出していた井戸で、航海のための給水源であった清泉の跡です。かつては松浜軒(しょうひんけん)の北の入り江から潮が通じていましたが、江戸期にふさがったといわれています。現存するこの井戸には階段を降りて水を汲めるだけの広さがあり、潮の干満に合わせて水位が変動していたそうです。
■妙見祭を心待ちにする子どもたち
 有名な八代の妙見祭は11月23日に行われますが、昔は11月18日に行われていました。当時は、祭の日には学校は早めに授業を切り上げ、子どもたちはしっぽの赤い毛に触れると願い事がかなうという亀蛇(きだ:八代では「がめ」という)を追いかけ回すのを楽しみにしていました。浅井神社の11月15日の大祭には、妙見祭礼に奉納する神馬(しんめ)と獅子が八つ縄の池のところで御祓いを受けるのが恒例で、いよいよ獅子舞が舞われるときになると、祭りを前に子どもたちの胸は高まり、興奮さめやらなかったそうです。
 現在、代陽小学校では毎年3年生の総合的な学習の時間に妙見祭を学んでいますが、妙見祭実行委員会の人たちの出前授業も行われています。子どもたちは地元に伝わる大きな祭りの由来や伝統、また神幸行列の亀蛇・獅子舞・笹鉢・飾り馬などの知識を、実際に動かしている人から学んで理解を深めています。
 また、境内には万延元年(1860)に建立された庚申碑があり、昭和40年5月18日に八代市の文化財に指定されました。
 このクスノキは、このように八代市の重要な歴史文化遺産が集中する場所で、明治13年(1880)に代陽小学校がここに開校して以来、子どもたちの元気な声に包まれながら、八代の変遷を見守り続けてきました。

 近くには、県指定天然記念物で樹齢800年の「妙見宮の樟」、代陽小学校から歩いて数分の松井神社の境内に、細川忠興公お手植えの県指定天然記念物の樹齢400年余の「臥龍梅」があります。

※「樹齢800年の妙見宮の樟」はこちらから
http://www.kininaru-k.jp/bns/back_doc/05242007/roujyu.html

※「樹齢400年余の臥龍梅(がりょうばい)」はこちらから
http://www.kininaru-k.jp/bns/back_doc/01042008/roujyu.html


[案内図]
所在地:
八代市北の丸町
 
八代城北側の前にある代陽小学校グラウンドに隣接して、八王社はある。車は第一中学校の方に進み、代陽小学校のグラウンドに突き当たるので、そこで降り、グラウンド沿いに右に歩いたほうが分かりやすい。
 



樹齢300年以上の田浦阿蘇神社の樫(葦北郡芦北町)

■全国的にも珍しいアラカシの巨木
アラカシ
町指定天然記念物
樹齢   
(推定)300年以上
幹囲   
3.4メートル
樹高   
10メートル
 樹齢三百年以上といわれるアラカシの老樹で、主幹の上部は欠けていますが、大枝が四方に伸び、どっしりとした存在感があります。アラカシは里山に多い木ですが、繰り返し伐採して生活に利用してきたので、これほどの巨木が残っているのはたいへん珍しいことです。
■田浦阿蘇神社のカシの樹
 芦北町(あしきたまち)田浦(たのうら)の集落の真ん中に、郷社としては肥後十社に数えられる田浦阿蘇神社があります。田浦は旧田浦町の中心であった古い集落で、球磨川から肥薩国境までの芦北地域で、堅固な城のあった佐敷(さしき)に次ぐ第二の集落でした。藩政時代には田浦手永(てなが:細川藩の行政区画で郡と村の中間)の中心として総庄屋が置かれ、田浦の集落は神社を中心に発展してきました。
 神社の楼門を入って右手に小川が流れ、境内の少し高い場所にアラカシの大樹があります。太い幹は根元近くで大きく二つに分かれ、根元には大きな空洞があります。平成16年(2004)の台風で主幹が地上4メートルのところで折れたため、現在の樹高は10メートルほどですが、樹勢良く、枝葉を茂らせています。樹肌はごつごつして老樹の風格があります。昔から境内には子どもたちが集まり、この空洞は今でも子どもたちが隠れたりするのに絶好の遊び場です。
■薪にされた地味なアラカシ
 アラカシは日本列島では福島県以西・四国・九州の暖地に自生し、関西で「かし」といえばアラカシを指すほど極めて普通なカシ類です。アラカシの「あら」は粗の意で、枝が粗強・葉が粗大で硬質だからといわれています。「かし」の語源は分かりませんが、普通「樫」と書きます。これはカシ類の材が堅いので「かたぎ」(堅木)と呼ぶのを、そのまま木編に堅を組み合わせた国字(日本人が作った字)で、漢字(中国から渡来した字)ではありません。
 アラカシは樹勢強健で乾燥地や痩せ地でも生育でき、生育が早くて萌芽力も強く、刈り込みに耐えるので庭園樹として広く使われています。植木市などで棒樫(ぼうがし)というのは、棒のように一本立ちに仕立てたアラカシの苗木です。単木で育てれば広楕円形の良い樹形に育ちますし、列植や群植して防風や防音などの遮断植栽としても有効です。身近な山に当たり前に生えている地味な木で、薪にするために頻繁に切られ、それでも根元から元気良く芽を出して再生してきた木です。そのため、尊敬されたり大切にされたりすることの少ない木です。また、材も手近に入手できる材料として諸用に供されましたから、使いたいときに勝手に使ってよい遠慮気兼ねの要らない木と考えられてきたのでしょう。
■大切にされ、300年を生きる老樹
 田浦阿蘇神社は室町時代に、この地域の豪族田浦氏(後の総庄屋)によって建立されたと伝えられていますが、社殿が寛永18年(1641)に焼失したので詳しい記録は失われて不明です。現在の神殿は天明元年(1781)、拝殿は嘉永元年(1848)に再建されました。毎年11月18日が例祭で、伝承郷土芸能の宮之後(みやのうしろ)臼太鼓踊りが奉納され、餅投げが行われます。臼太鼓踊りは、その勇壮な音が雷に似ていることから雨乞いとしても踊られていました。また、昔はこの祭りの日に奉納相撲が行われ、地区の人たちはアラカシのそばの桟敷に座って観戦するなど大いに賑わっていました。そのアラカシは300年以上の樹齢を重ねた老樹となって存在しています。これは地域の人たちから大切にされてきたことと、病虫害にも侵されなかったなど環境条件に恵まれたことで、このように長生きすることができたのでしょうが、大変珍しいことです。
■全国に知られる甘夏みかんと田浦銀太刀
藤崎家住宅の長塀
佐敷城跡
人気のゾーブ
日本一の甘夏みかんの里
味もボリュームも満点の太刀魚丼
伝統の打たせ船
 このアラカシには、肥薩おれんじ鉄道の「たのうら御立岬(おたちみさき)公園駅」から歩いて15分ほどで着きます。途中には国登録文化財の「藤崎家住宅」があります。料理研究家の江上トミの生家として有名で、町道沿いの長塀などを見ることができます。肥薩おれんじ鉄道の佐敷駅近くには、国指定史跡になることが決まった佐敷城跡があります。戦国時代の終わりから江戸時代にかけての芦北、水俣の拠点で、美しい不知火海(しらぬひかい)までを見渡せる高台にあります。また、湯浦(ゆのうら)駅近くの星野富弘美術館では静かなひとときを過ごせます。海沿いには芦北海浜総合公園があり、ニュ−ジーランド生まれのニューアトラクションスポーツのゾーブが人気です。
 田浦は丸田印(:まるたじるし)のトレードマークで全国に名を知られる甘夏みかんの産地で、質、量ともに「日本一の甘夏みかんの里」と呼ばれています。昭和24年、田浦の有志7人が海に面した温暖な気候と傾斜した地形を利用して育て始めた1本から、現在の甘夏王国・熊本が誕生したのです。最近では嗜好の変化にあわせて「デコポン」をブランド化し、甘夏みかんに代わる日本一の産地を目指しています。
 かんきつ類のほか、不知火海で獲れるタチウオは「田浦銀太刀」(たのうらぎんだち)のブランド名で出荷されています。コリコリした歯応えの刺身や、ふっくらした食感の塩焼きはおかずにも酒のさかなにも最高です。「道の駅たのうら」では、田浦銀太刀の刺身や切身をはじめ、山盛りの太刀魚の天ぷらのほんのりとした甘さとタレのコンビネーションが絶品の太刀魚丼が評判です。
 また、「白いドレスの海の貴婦人」と呼ばれる打たせ船(うたせぶね)は、不知火海のシンボルです。青くきらめく穏やかな美しい海に真白い帆を一杯にふくらませて、風の力だけでゆっくりと力強く進む伝統の底引き網漁の船です。自然に逆らわない暮らしを感じさせる風景です。

 近くには芦北町指定天然記念物の樹齢300年以上の「海浦(うみのうら)阿蘇神社の樟」、津奈木町指定天然記念物の樹齢200年の「将軍神社の楊梅(やまもも)」があります。


[案内図]
所在地:
葦北郡芦北町大字田浦
 
国道3号沿いの田浦基幹支所手前を左折、学校前を過ぎて覚応寺手前を左折して300メートル進むと右側にある。
   

本文中の写真および地図については
(財)くまもと緑の財団発行の
「くまもとの老樹名木ガイド」より転載
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