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第349号

2008年3月6日

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週刊連載記事 老樹名木が語る「ふるさとの自然・歴史・暮らし」
 老樹名木は、数百年あるいは数千年以上も地域の人々の暮らしとともに生き続け、語り継がれる物語や伝説をはぐくんだり、ご神木として敬われたりして、人々の心のよりどころになっています。これらは、先祖から受け継いだ県民の財産として、子孫に守り伝えなければならない宝です。熊本の自然やそれにまつわる人々の思いなどを織り込み、熊本の代表的な「老樹名木」を連載で紹介します。
 今回は、春爛漫の桜三題、球磨郡(くまぐん)水上村(みずかみむら)にある「市房(いちふさ)ダムの桜」と、玉名郡(たまなぐん)南関町(なんかんまち)にある町指定天然記念物の「石井家の彼岸桜(ひがんざくら)」と、同じく南関町にある町指定天然記念物の「肥猪(こえい)の枝垂桜(しだれざくら)」を紹介します。


市房ダムの桜(球磨郡水上村)
■ダムの湖面を覆いつくす可憐な桜
サクラ(ソメイヨシノ)
花期   
3月下旬〜4月上旬
 ダム湖を囲むようにして植えられた2万本の桜は、日本桜名所百選のひとつ。ソメイヨシノが主ですが、満開時は湖面が桜色に染まり見事です。その近くにある桜図鑑園には約百種類の桜が植えられました。
■清流球磨川の原流にある水上村(みずかみむら)
 この村の名を「みずかみむら」と、熊本県内の人、とくに球磨(くま)郡など県南部の人は間違いなく読みますが、全国的には群馬県の最北端の谷川岳の麓「トンネルを抜けると雪国だった」の清水トンネル入口の「みなかみむら」が有名になったので、間違って読まれることの多い名前です。球磨川本流の奥深い谷と不土野(ふどの)峠で宮崎県の椎葉と繋がる古屋敷と、球磨川支流の湯山川の上流にそびえる球磨の霊峰・市房山の登山口で温泉の涌く湯山と、二つの川が合流して球磨盆地の平坦な部分に流れ込む岩野の3村が、昭和28年に合併してできたのが水上村です。日本三急流の一つと讃えられる球磨川の清流が流れ出す村という、誇りに満ちた命名です。
 合併時の村役場は球磨川と湯山川の合流点の新橋に建てられました。市房ダムの完成で現在はダム湖の底に沈んでいる場所ですが、三つの村の力が釣り合う重心点であり、新しい村のシンボルだったのです。渇水時に、役場跡は最も深い底で見えませんが、水上中学校跡、石垣や風呂場などの遺跡が見られます。
■ダム湖畔の「日本一の桜の里」
 市房ダムは昭和35年(1960)に建設された多目的ダムです。人造湖が完成した直後の昭和37年(1962)に、当時の水上中学校の先生たちが中心になって、子どもからお年寄りまで村中が総出で、ダムが削った山肌に、桜1万本を湖畔を取り囲むように植えたのです。
 植えられた桜はソメイヨシノがほとんどです。ソメイヨシノは成長が早くて開花までの期間が短く、一斉に開花して花吹雪になって散るのが特徴の桜ですから、春爛漫と咲き誇る花と湖面に映える景色は見事というほかありません。やがて植えられた1万本の桜は大きく育って豪華絢爛の桜並木になりました。昭和59年(1984)、この桜並木を生かして、日本一の桜の里づくりが始まりました。その後毎年植えられた桜も含めて現在は約2万本になり、全国に誇れる花の名所になりました。ソメイヨシノのほかにもヤマザクラやサトザクラなども植えられ、ところどころに淡紅色や淡紅紫色の彩りを添えています。
 市房ダム湖の花の見ごろは、3月下旬から4月の上旬です。球磨盆地の一番奥の冷涼なところで、桜の開花は遅いと考える人が多いのですが、ここでは毎年3月下旬には花が開きます。桜の開花には1月ごろに冷え込むことが大切で、その寒さでスイッチが入って蕾の中で開花への準備が始まるのだそうです。このあたりは1月に大きく冷え込み、その後はダムの大量の水の存在と照り返しで暖かいおかげで、毎年3月の下旬には花が見られるのでしょう。
 3月終わりの花の時期には、約2週間にわたって午後7時から10時までライトアップされ、華やかな夜桜が楽しめます。期間中は県内外から8万人が訪れます。満開時の土曜日と日曜日には「湯山温泉桜まつり」が行われ、2日間だけで3万人の人出で賑わいます。今年は37回を数え、3月29日(土)、30日(日)に開かれます。同時に満開の2万本の桜の下を走る「日本一の桜の里健康マラソン大会」も行われ、誰でも気軽に参加できます。ゴール後は湯山温泉で汗を流し、桜まつりの前夜祭が楽しめます。
■全国の桜が揃う「桜図鑑園」
 近くには桜図鑑園があります。これは日本一の桜の里づくり計画の中で、桜の種類の違いを実物で実際に確かめることを目的に作られたものです。図鑑園という名称もそこに由来します。現在は60品種の桜が育っています。また、それぞれの品種ごとに花の咲く時期が異なっているので、3月初めから4月の終わりまで長く花を楽しめます。
 ここには早咲きで知られる沖縄の「寒緋桜」から北海道の「紅しだれ」まで全国の桜が植えられています。冬に咲く桜として関心が集まる玉名の草枕温泉の「啓翁桜」や花が緑色をした「御衣黄(ぎょいこう)」、八重桜の直径5センチメートルもある紅色の「関山(カンザン)」や「松前紅豊(べにゆたか)」など、さまざまな色や形の桜が楽しめます。
 村の物産館「水の上の市場」では、万十のあんこに葉の塩漬けをいれて風味豊かに仕上げます。また、塩漬けにした大輪の紅色が美しい関山をあしらったゼリーを宿泊客に出す旅館もあります。
 桜の樹でやっかいなのは天狗巣病ですが、村では葉が落ちる11月頃から葉桜になる前まで見回って、病気の早期発見・早期治療に努めて美しい桜並木を維持しています。
■一斉に咲き誇るソメイヨシノ
 我が国で一番普及している品種であるソメイヨシノは江戸時代の末期に、江戸染井村(現在の東京都豊島区駒込)の植木屋が「吉野桜」と名付けて売り出した園芸品種で、後に染井と吉野を合体させて正式名称としたものです。エドヒガンとオオシマザクラとの雑種ですが、自然交雑でできたのか、誰かが作ったのか、最初にできた場所はどこなのか、と多くの学説が立てられましたが、いまだに答えは出ていません。
 この品種は雑種であるために種子ができませんので接ぎ木苗で増やします。挿し木・接ぎ木・株分けのように種子によらない増殖法を栄養繁殖といいますが、これは現在流行の言い方をすればクローン繁殖です。動物でも植物でも同じ体の一部分をいくつにも増やす、親の体の一部がそのまま子供になる方法ですから、親も子供も全く同じ遺伝子構成で同じ形質の個体になります。その点、母親と父親の遺伝子が合体してできた子供は、両方の遺伝子が混ざってできていますから別の構成になり、親と似てはいても同一にはなりません。
 ソメイヨシノは、広い場所にまとまった数の桜を植える、つまり群植するのに適しており、一斉に揃って咲き競う姿を大勢の人が集まって花見酒を酌み交わしながら楽しむ、日本式「お花見」に最適の形質を持っています。明治に、それまでの旧藩体制から日本が一つの国として統一的な発展をするようになると、たとえば地方の自治に任されていた教育制度が改まって全国に小学校が同じ基準で作られます。そうなると、お互いによその事例を参考に校庭に植える木としてソメイヨシノが選ばれることが多くなりました。また、寿命が短いのが欠点といっても、何十年も生きる木ですし、早く大きくなって花が咲くことが重視され、ソメイヨシノは全国的に植栽されて花の名所づくりの花形になりました。

 近くには、同じく水上村の天然記念物の樹齢300年の「千ヶ平八幡の椋」、「小白水(こしらみず)の石楠(しゃくなげ)」、樹齢800年から1000年の「市房(いちふさ)神社参道の大杉(おおすぎ)」、県指定天然記念物の「市房山のツクシアケボノツツジ」、村指定天然記念物の樹齢700年の「猫寺(ねこでら)の木犀(もくせい)」があります。猫寺の球磨川対岸には農民の力だけで作られ現在も球磨盆地を広く潤している百太郎溝の取水口があり、その溝に添って降りると多良木町指定天然記念物の樹齢400年の「赤坂(あかさか)の槇(まき)」、同じく天然記念物の樹齢300年の「多良木菅原神社の石櫧(いちいがし)群」があり、湯前町には町指定天然記念物の樹齢800年の「城泉寺(じょうせんじ)の槇(まき)」やふるさと熊本の樹木に登録されている樹齢200年の「安牧神社の鹿子木(かごのき)」もあります。

※「樹齢300年の千ヶ平八幡の椋」はこちらから
http://www.kininaru-k.jp/bns/back_doc/02282008/roujyu.html

※「樹齢800年から1000年の市房神社参道の大杉」はこちらから
http://www.kininaru-k.jp/bns/back_doc/07262007/roujyu.html

※「樹齢700年の猫寺の木犀」「樹齢800年の城泉寺の槇」はこちらから
http://www.kininaru-k.jp/bns/back_doc/10252007/roujyu.html

※「樹齢400年の赤坂の槇」「樹齢300年の多良木菅原神社の石櫧群」はこちらから
http://www.kininaru-k.jp/bns/back_doc/09272007/roujyu.html


[案内図]
所在地:
球磨郡水上村大字湯山(ゆやま)
 
国道388号で水上村市房ダムへ着く。ダム湖の周囲に2万本の桜の並木が続く。
 


樹齢300年の石井家の彼岸桜(玉名郡南関町)

■春の訪れを告げる北原白秋ゆかりの樹
ヒガンザクラ
町指定天然記念物
樹齢   
(推定)300年
幹囲   
3.2メートル
樹高   
17メートル
 春の彼岸のころ枝いっぱいに淡い紅色の花を付けます。ここは北原白秋の生家として知られる、白秋が幼少のころから度々訪れていた関外目(せきほかめ)の石井家の庭です。その庭にあるこの樹は、四方に張った立派な枝を持ち、堂々とした生命力を感じます。
■白秋が愛した「第二の故郷」、南関町
 南関(なんかん)町の関外目にある石井家は、北原白秋の母の実家で白秋の生家として知られています。関外目とは、関村(現在の南関町の中心で役場などがある関町)に対して、そこから分かれた新しい村という意味です。
 石井家は幕末に酒造業を営んでいたので、筑後地方の同業者とはいろいろと縁があり、その中の一軒である柳川城下の北原家に、白秋の母「しけ」が嫁ぎました。母は明治18年(1885)関外目の石井家に里帰りして長男の白秋を出産し、石井家の祖父の名から一字をもらって隆吉(りゅうきち)と名付けられました。
 白秋は、自分の出生の地であり、母の実家でもある関外目が大好きで、遠距離をいとわずたびたび訪れています。マイカーを使う今では簡単に行き来できる距離ですが、当時は日帰りで遊びに来るなどとうていできないような距離でした。それでも、南関での楽しい生活を心待ちにしながら、母と一緒に、あるいはひとりで、目を輝かせて土埃の立つ長い道を馬車に乗ってやってくる白秋の幼い日の姿が想像できます。
 白秋自身が、明治44年(1911)刊行の詩集「思ひ出」の序「わが生ひたち」で記したように、幼年時代に南関の山や谷を駆け巡り、「山のにほひ」と生き物に揺れ動いた心の軌跡が、白秋の文学的素地の形成に与えた影響は計り知れないものがあったでしょう。
 この彼岸桜は樹齢300年と推定されていますから、白秋が生まれたころから相当な大樹だったはずです。現在も、石井家の塀に近い場所にそびえていて、花の時期になると塀の外の道を覆うように咲き誇ります。地元では、この彼岸桜が咲くと田起こしの作業を始める、農作業暦の指標にしていたそうです。
■お母様は玉蘭(はくれん)、白い気高いハクモクレン
 石井家にはこの彼岸桜のほかに、町指定天然記念物のツガがあり、高くそびえる常緑針葉樹なので門の外からもよく見えます。また、文化財ではありませんが、ハクモクレンの老樹があります。ハクモクレンは門と玄関の間にあって外から見ることはできません。白秋はこの樹を特に愛し、門を入ったところにある生誕歌碑には、「春霞関の外目は玉蘭の花ざかりかも母の玉名は」と、刻まれています。白秋は「苛酷なほど父から好学の道を禁圧されたわたくしを、よく理解し、よく保護し、その道への進出に心を尽くしてくれた人はこの母であった」と語っていますが、白秋にとって「母はわが凡て」でした。
 童謡集「月と胡桃(くるみ)」では、「お母さまは木蓮 白い気高い木蓮」と、母への思慕を詠んでいます。昭和17年(1942)、白秋は母の病状を案じながら先に逝きましたが、母しけは昭和20年に亡くなりました。白秋が母の面影を見続けたハクモクレンは、3月になると今も変わらずに美しい花を咲かせ、石井家に春の訪れを告げています。
 白秋は名産の南関素麺も歌にしており、「てうち素麺戸ごとかけなめ日ざかりや関のおもてはしづけかりにし」と詠んでいます。町の中心部のバスターミナルにこの歌碑が建てられています。南関素麺は細く長い白糸のように美しいのが特徴で、人の手によって丹念に延ばされた麺を長くかけ干して作る手作りの逸品です。300年とも250年ともいわれる歴史があり、江戸時代には細川藩の幕府への献上品として、明治以降は天皇家に献上されました。
 南関の名産としては南関あげも有名です。これは豆腐の水気を絞ってじっくりと揚げ、年間を通じて常温保存できるのが特徴です。パリパリなのに、煮るとふんわり、ほのかな甘みがあり、みそ汁をはじめ、煮物、巻き寿司など熊本の家庭料理には欠かせません。普通のあげとは随分違っていて美味なものですが、白秋は素麺のような美しさは感じなかったのか、歌にはなっていません。
■南関町の旧家、石井家
 室町・戦国時代にこの地域を長く支配していたのは大津山氏で、その先祖である藤原姓日野河内守資基(ひのかわちのかみすけもと)に足利義満が玉名郡臼間庄大津山を与えたことに始まります。資基は応永2年(1395)に下向し、大津山(256メートル)の山頂にある藟嶽(つづらがだけ)に大津山城を築き、自らの氏も大津山と改めたと伝えられます。石井家の祖先は、そのときに京から同行した重臣の一人といわれます。
 石井家は、白秋の伯父隆承(りゅうしょう)が町長を務めるなど町の名士でしたが、白秋は自慢の甥でした。隆承は、詩人としての名声を博していた白秋に南関小学校(現南関第一小学校)の校歌の作詞を依頼しています。白秋の詞に、当時白秋と親交のあった音楽界の第一人者山田耕筰が曲をつけた校歌は今も子どもたちに歌い継がれています。母しけの弟の子で、白秋の従兄弟にあたる日本画家の石井了介も昭和42年(1967)から昭和50年(1975)までの2期、町長を務めました。文化人町長として知られ、町の中央公民館の緞帳(どんちょう)にムクノキを描いています。このムクノキは樹齢500年の県の指定天然記念物で、南関第一小学校の校庭にあり、子どもたちを見守っています。
■彼岸桜の正しい名前はエドヒガン
 彼岸桜は、植物学的に言えばエドヒガンという種類で、もともと日本の山地に自生して広く分布する落葉高木です。ヤマザクラとともに古い時代から野生の状態で、または身近な場所に植えて観賞されてきた桜の代表で、日本文化の中で重要な位置を占めてきた植物の一つといえます。和名は江戸の彼岸桜の意味ですが、江戸でたくさん栽培されていたから付いた名前で、江戸に自生していたものではありません。また、彼岸桜は春の彼岸のころ他に先駆けて開花する桜の意味です。明治以後は園芸品種のソメイヨシノが主流となって桜の名所が数多く作られましたが、古くからの名所にはエドヒガンやヤマザクラが多いようです。
 野生の桜が自然に咲く姿を眺めるのが観賞の中心だった時代でも、山の中で美しさが際立っていれば、その株またはその子孫を持ち帰って植栽することは行われました。そのことが積み重なると、より美しく変化に富んだ株が栽培されるようになります。そして、エドヒガンはもともと寿命の長い木なので、そのようにして大切にされた株が何百年も生き続け、各地で老樹名木となっているのです。
 明治以後は、エドヒガンとオオシマザクラの雑種である園芸品種のソメイヨシノが、成長が早く一斉に開花する特徴が好まれて大量に植えられました。そのため、エドヒガンは少なくなってきましたが、寿命が長いので各地に大木になって残っています。県内でエドヒガンを大切にすることで目立っていたのは上益城郡の山都町(やまとちょう)でしたが、近年は天狗巣病の被害などで減少しているのは残念です。エドヒガンは成長は遅くても寿命が長い木ですから、長い年月を通して楽しめます。ソメイヨシノと両方植え分けておけば、開花期が1週間ずれるので、花見を2回楽しむこともできます。
■寒い時期に咲くカンヒザクラ(寒緋桜)
 「ひがんざくら」と発音が似ていて混乱のもとになる桜に、「ひかんざくら」(緋寒桜の意)があります。沖縄に多いカンヒザクラ(寒緋桜の意)の別名ですが、まだまだ寒い時期に緋色の花を咲かせる桜という名前です。沖縄では1月から2月にかけて咲きますが、いわゆる「桜前線の北上」とは逆に、沖縄の北部から咲き始めて名護・那覇・糸満と開花前線が南下してくる興味深い現象があります。桜は春に暖かくなって開花するものですが、その前に寒さに触れて開花準備を早くから始めていた北部の桜がまず咲き、寒さが来なくて暢気にしていた南部の桜が遅れて咲き出すのだそうです。
 カンヒザクラまたはその園芸品種が、現在では九州から関東南部まで点々と植栽されるようになりました。熊本県内でもときどき見かけますが、開花は2月から3月にかけてのようです。クローズアップされた写真で見ると威張った花にみえますが、花がやや小振りで垂れ下がって咲く、おとなしい謙虚な感じを受ける桜です。また、全国のお花見のトップを切って行われることで有名な伊豆半島河津町のカワヅサクラは、早春に開花することと紅の濃い花色から、カンヒザクラと地元に産するオオシマザクラの雑種だろうと考えられています。そのほかにも、開花期が早い特性からカンヒザクラを親とする品種改良がいろいろと進められ、そのような改良品種と思われる桜も県内で見かける機会が増えています。


[案内図]
所在地:
玉名郡南関町大字関外目
 
国道443号外目バス停より徒歩10分。北原白秋生家内にある。


樹齢100年の肥猪(こえい)の枝垂桜(しだれざくら)
(玉名郡南関町)

■春風にゆらゆらと薄紅の花の舞
シダレザクラ
町指定天然記念物
樹齢   
(推定)100年
幹囲   
2.2メートル
樹高   
10メートル
 集落内の小路を抜けると、細く垂れ下がった枝に薄紅色の花をたわわに咲かせた桜に出会います。樹高は10メートルほどですが、春風に枝が揺れ、舞っているような姿が美しい桜です。開花は3月下旬ごろです。
■桜色の羽衣をまとったような優美な姿
 関町から国道443号を山鹿(やまが)に向かい、南関第三小学校を過ぎたころから注意して進むと、左手に理髪店、右手にコンビニエンスストアがあり、「佛照寺」の案内板がある相谷(あいのたに)交差点に出ます。そこから右折して「佛照寺」の案内に従って行くと、肥猪(こえい)の集落に入ります。佛照寺から右手の小道を歩いて行くと、花の時期には民家の屋根の上に、大きな花火がどんと開いて枝垂れたように花をつけたシダレザクラが見えてきます。門の外からも見えますが、近くで見たいときには個人の住宅の庭にある樹ですから、きちんと挨拶をして許可をいただくことが大切です。
 ここは福田春蔵(しゅんぞう)が開いた福田塾(肥猪義塾または翼々舎ともいう)の跡で、今も肥猪義塾の看板と春蔵直筆の掛け軸が残されています。春蔵は肥猪の生まれで、長じて山鹿の惣庄屋となりましたが、明治3年(1870)に藩政改革により庄屋制がなくなると郷里に帰り、明治4年(1871)ここに肥猪義塾を開きました。その時に持ってきたシダレザクラを植えました。塾には教えを請う若者が各地から集まりましたが、春蔵は明治9年(1876)に病のため亡くなりました。春蔵は宗不旱(そうふかん)の母方の曽祖父にあたり、不旱の墓参りの句があります。春蔵の死後、間もなくシダレザクラも枯れ、その株に芽生えた「ひこばえ」が育った二代目がこの樹です。
 花の時期にはライトアップが行われ、近所の人たちもみんなで夜桜を楽しみます。このお宅には文化財にも値する学問部屋も残っていたそうですが、残念なことに建て替えられて現在は残っていません。
■シダレザクラを科学する
 枝垂桜は、植物学的に言えばイトザクラ(糸桜の意)というエドヒガンの変種ですから、細い枝がほとんど垂直に垂れる以外は、母種のエドヒガンと花の形やその他の形質に違いはありません。しかし、枝垂れる姿が好まれて大切にされることが多く、加えて、母種と同じように寿命が長くて大木になるので、各地に名木があります。
 枝垂桜の枝は、何故どのようにして長く垂れ、独特の「枝垂れ」という形になるのか。これは、枝の上側の伸び方と下側の伸び方が違う、つまり成長の速度に差がある「偏差成長」から起こる現象ではなくて、枝全体の成長が早いので枝が細く長く伸び、その枝や葉の重さで垂れ下がった形のまま枝が固まってしまうからです。その後は、垂れ下がった形で枝がますます長く伸びて茂り、さらに立派な枝垂桜になってきます。

 近くには、町内に、県指定天然記念物の樹齢500年の「大津山下ッ宮の椋(おおつやましもつみやのむくのき)」、町指定天然記念物の樹齢400年の「小原の石櫧(いちいがし)」、樹齢300年の「乙丸の黐(もちのき)」があり、隣接する和水町(なごみまち)には、県指定天然記念物の樹齢800年の「上十町権現(かみじっちょうごんげん)の石樫」、樹齢800年の山森阿蘇神社の樟があります。
 また、南関町には嘉永5年(1852)に完成した国指定史跡「豊前街道南関御茶屋跡」があります。肥後藩主細川公が、参勤交代や領地巡視の折に休憩、宿泊したものです。現在は町民ボランティアにより管理、運営されています。修復にあたっては建てられた当時の材料・工法などが忠実に再現されました。今年、県産材を利用した優れた施設を顕彰する県のコンクールで特別賞を受賞しています。
 400年の歴史を誇る国指定伝統的工芸品の小代焼(しょうだいやき)も有名で、南関町には古くからの窯跡が多く残ります。現在もいくつもの窯があり、その深い美しさが好まれ、茶器や花器、食器として暮らしの中で愛用されています。
 隣町の和水町には、国指定史跡「江田船山古墳(えたふなやまこふん)」があり、出土品は国宝として東京国立博物館に保管され、日本古代史上貴重なものです。

※「樹齢500年の大津山下ッ宮の椋」はこちらから
http://www.kininaru-k.jp/bns/back_doc/07122007/roujyu.html

※「樹齢800年の上十町権現の石樫」はこちらから
http://www.kininaru-k.jp/bns/back_doc/01102008/roujyu.html

※「樹齢800年の山森阿蘇神社の樟」はこちらから
http://www.kininaru-k.jp/bns/back_doc/05022007/roujyu.html


[案内図]
所在地:
玉名郡南関町肥猪
 
国道443号を山鹿方面より大原郵便局手前、大幸木工を左折。佛照寺の梵鐘の案内方向にしたがって左折。
本文中の写真および地図については
(財)くまもと緑の財団発行の
「くまもとの老樹名木ガイド」より転載
詳しくはこちらから