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火君一族の最初の集落があったと思われる場所が下益城郡城南町にある「塚原古墳群」。大小さまざまな方墳、円墳、前方後円墳などが密集しています。昭和47年の発掘で、一帯から101基の古墳が発見され、全国から注目が集まりました。
昭和49年には国指定の文化財となり、現在では古墳公園として整備されています。 |
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宇土半島一帯も、火君一族が治めていた地域であるといわれています。
半島の根元にはいくつかの前方後円墳が残っており、昭和42年、その中の一つから、女性の完全な骨が発見されました。石棺の中には、花模様が入った鏡や勾玉(まがたま)、首飾りなどの装飾品などさまざまなものが一緒に入れられており、位の高い女性だったことが分かりました。
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彼女も火君一族の一人で、卑弥呼のようにさまざまなお告げを人々に与えていたのかもしれませんね。 |
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現在の城南町のあたりだけでなく、八代郡を流れる氷川流域も、その勢力があったと考えられています。現在の八代郡竜北町(やつしろぐんりゅうほくまち)一帯には多くの古墳が残っており「野津古墳群」という古墳群を形成しています。ここに集中しているのは前方後円墳で、金の耳飾りなどの装飾品が発見されたことから、火君一族の墳墓の可能性が高いといわれています。
この場所はかつて海岸線だったそうで、海を臨む小高い丘で火君一族はこの一帯を治めていたのかもしれません。 |
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