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熊本雑学辞典

熊本の地名や風習のほか、
身近にあるさまざまなものに、
熊本の謎が隠れています。
そんな熊本の雑学をご紹介していきます。

世阿弥の能のモチーフになった女性が熊本にいた

●能を大成した世阿弥(ぜあみ)

 室町時代の能役者・能作者として知られる世阿弥。少年時代、京都の能で将軍足利義満(あしかがよしみつ)に見いだされたのをきっかけに、父・観阿弥(かんあみ)とともに能を大成した人物です。彼は観世座の俳優として演出家として、また太夫として、幽玄美を理想とした歌舞中心の美しい能を創造し、現代にも生き続ける芸術にまで磨き上げました。また同時に約70曲もの能作を手掛けたともいわれ、『高砂(たかさご)』『蟻通(ありどおし)』『清経(きよつね)』など数々の作品が残されています。中でも世阿弥の代表作といわれる『桧垣(ひがき)』という能作品。これは、「関寺小町(せきでらこまち)」「姨捨(おばすて)」とともに三老女と称される秘曲です。「肥後の僧のもとに仏に手向ける水を運ぶ一人の老女。彼女は大宰府の白拍子の霊で、僧が後世を弔うと白拍子となって現れ、舞を舞って消える」という内容で、後撰和歌集に寄せられた桧垣の歌に基づき、描かれたとされています。実は、この作品のモデルになった女性が、熊本に住んでいたといわれているのです。

※白拍子:平安末期に起こった歌舞。また、それを舞う踊り子。

●世阿弥の描いた女流歌人「桧垣」

 平安時代の女流歌人として知られる桧垣。桧垣(ヒノキの薄板を編んで作った垣)のある家に住んでいたのでこう呼ばれたといわれています。以前は京都の歌舞の名手として有名でしたが、いつしか博多に移り住み、その後、熊本の白川のほとりに住みついたのだそうです。
 『年ふればわが黒髪も白川の みづはくむまで老いにけるかな』
蓮台寺正面
蓮台寺正面
蓮台寺境内には桧垣の墓と井戸がある
蓮台寺境内には桧垣の墓と井戸がある
桧垣の井戸
桧垣の井戸

 この歌は、桧垣が白川の岸辺で大宰府の役人藤原興範(ふじわらのおきのり)に出会ったときに詠んだものです。(肥後守清原元輔との出会いがあったとも伝えられます)
 意味は、『髪も真っ白、自分で水をくまなければならないほどに落ちぶれた』というもの。藤原興範が川のほとりで出会った老婆に水を求めたところ、思いがけなくも昔都で評判の美女だった桧垣の老い果てた姿であることに気づき、自分の着物を脱いで与えたということを、桧垣自身が詠んだこの歌。若いころは大変美しく、大宰府の官人たちにもてはやされるほどの人物だった桧垣が、藤原純友(ふじわらのすみとも)の乱に遭って家財を失い、老いとともに白川のほとりに流れてきたという零落の歌だともいわれています。
 世阿弥作の能「桧垣」では、熊本市の岩戸観音が背景となっていますが、霊巌洞(れいがんどう)の近くで天明期(1781〜89年)に発見された桧垣の小像が雲巌禅寺(うんがんぜんじ)に安置されていたという説も。熊本市の蓮台寺(れんだいじ)には桧垣の供養塔があり、俗に桧垣寺とも呼ばれています。また、蓮台寺には立てひざ姿の桧垣像人形が安置されており、そのほほ笑みは今もなお美しい風格を残しています。

※零落・・・おちぶれること

出典   「熊本大百科事典」 「謡曲大観」

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